近藤 貞雄(1950年) 【パワプロ2020 実在】
- 2021/02/01
- 22:50


選手名:近藤 貞雄
再現年度:1950年 (10勝4敗 防御率3.60)

中日・大洋・日本ハムの3球団で監督を務めた名将。
いち早く投手分業制を採り入れたことでも知られている。
99年野球殿堂入り。
現役時代は波乱万丈。
戦後すぐの46年、巨人に在籍し、快速球を武器に23勝、防御率2.18の好成績。
しかしその年の秋、酔っ払い運転のオーストラリア兵のジープにはねられそうになり、とっさによけると側溝にあったガラスの破片で中指を切ってしまう。
ペニシリンなどの抗生物質が出回っていない時代。菌が入り込み大きく腫れ、手術を受けたものの中指がねじ曲がったままに。
一生ものの傷を負いすぐに巨人をクビになってしまう。
中日に拾われると、ボールをまともに握られない状態から中指を使わないパームを生み出し劇的に復活。
1950年に10勝を挙げた。
【査定ポイント】
-中指を使わない魔球-
中指を使わないストレートは気魄のチェンジアップとなり、またパームのように落ちたりした打者を翻弄した。
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この復活劇は昭和24年に『人生選手』というタイトルで映画化された
【カメハの戯言】
上記のエピソードから根性〇もつけようかと思いましたが、コーチ、監督時代には根性の投げ込みを論を否定した人物。
なのでつけませんでした。
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