種田 仁(1993年) 【パワプロ2018 実在】
- 2020/04/20
- 17:28


■ガニ股前のフレッシュ時期
選手名:種田 仁
再現年度:1993年(打率.254 本塁打10本 40打点 10盗塁 )
【エピソード】

・ガニ股といえば種田。種田といえばガニ股。
それぐらいガニ股で浸透している種田だが、ガニ股打法は2000年からで、それまでは至ってオーソドックスな打法であった。
そのオーソドックスな打法の時代、バリバリレギュラーを張っていた時期があることを中日ファン以外あまり知られていない(たぶん)
1992年立浪が肩の怪我でセカンドにコンバートを余儀なくされ、代わりにショートに入ったのが種田。
1993年は2番に定着してチームで唯一の全試合出場を果たし、10本塁打、10盗塁と結果を出した。
【パラメーター】
内野安打○
内野安打数18本
悪球打ち、積極打法
当時のドラゴンズファンブックに初球からなんでもかんでも手を出すため「ダボハゼ」と書かれている。
確かに見逃しストライク数は229でリーグで最も少ないというデータがある。
ちなみ同僚の立浪は535とボールをじっくりみていた。凄い数の差。
ケガしにくさE
この年全試合出場だが、翌年以降ガニ股まで毎年どこかしら怪我をする怪我のデパート化
プレッシャーラン
プレッシャーランは挙動が意味不明のため、あまりつけたくないが
種田といえば気性が荒い。その気性の荒さを表現できるかなと・・・わからんけど
あとは上宮高校時代監督から「種田が9人いれば監督はいらない」と言われた野球脳の持ち主。
いやらしさもこれで。
【カメハの戯言】
スピード感溢れる種田をどうぞオ
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